脱原発をめざすおんなたちの会

凄い、吉永小百合さんに竹下景子さんも賛同人。
私らの年代のおっちゃんはこの二人の大ファンやで。
あかん、血が騒ぐ。

・日時:2011年11月23日( 水・祝)
    開場:午後1時 開演:午後1時30分

・場所:座 高円寺2(杉並区立杉並芸術会館地下2階)
            JR中央線高円寺駅北口徒歩5分(地図)

・参加費  1000円

http://datsugenfem.web.fc2.com/





私の信頼しているサイト。
少し長いが、全文紹介します。


●おっちゃんの泣き言● 転載
http://910leo.blog70.fc2.com/



「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」




ふだんはリンクですませるところですが、
あまりにも悲しい文章なのでここに転載します。


「暗い夜になる前に 」マリア・ゴルフビッチ(女13歳)
              ソコビッチ中等学校7年生 ソリゴルスク地区

 チェルノブイリが私の小さな村を荒らしたとき、私はたったの5歳だった。
不幸は私の家も避けはしなかった。
 兄のミーシャは、今もなお無慈悲に人々をなぎたおし続けている恐ろしい病気、
ガンで死んだ。

 医者は放射能のせいだと言った。

 ミーシャは、20回目の春を迎える一週間前に死んだのだ

 今では、ガンがチェルノブイリ事故の影響であることを疑う人はいない。
 なぜ、私の兄に恐ろしい白羽の矢がたったのか。
 なぜ、今死んでいく何千人もの人々に白羽の矢がたったのか。

 兄は死ぬ前に、もう歩けなかった。
 兄は私にこう頼んだ。

 「僕のそばに座って、マーシェンカ、美男子になるように髪をすいてくれないか」と。
私は黙ってうなずいた。

 兄は暗い、生気のない目でただ私を見つめるだけだった。

 そして、私は一人祈りつづけた。

 命の灯りを
 消さないで 瞳さん
 暗い夜になるまえに

 家族みんなつらかった。
 私と母はミーシャをがっかりさせないように、こっそり泣いた。
 こうやってチェルノブイリはわが家に侵入し、
壁にかかる遺影として永久に住み着いてしまった。
 
 時は進む。人々は以前人生の出来事を思い出すとき「戦争前、戦争後」と
言っていたが、今では「チェルノブイリの前、チェルノブイリの後」と
言っている。それは悲しい歴史の区切り目となってしまったのである。


 チェルノブイリの悲劇は、私たち皆に慈悲、思いやり、良心を要求している。

 なぜなら、それがないところには不幸が住みついてしまうからである。
でも今わがやには不幸がいすわっている。それは出ていこうとはしない。

 何年たっても何世紀たっても
 この痛みは私たちから去らない
 それはあまりに大きく果てしなく
 どうしても鎮められない
 それは負の遺産として
 何世紀も 私たちの子々孫々に残るだろう
 そして彼らの心に居すわって
 永遠に平静を奪うだろう
 地球上の一人ひとりが
 このおそろしい年
 おそろしい日を覚えていますように






残念ながら私たちは彼女の願いにそえなかった。再び同じ悲劇を繰り返してしまった。
今はまだ原発の影響でガンが発症したという事例は出ていないだろうが、
いずれ出てくることはほぼ確実だ。

彼女はただ思っていることを書いているだけだと思う。
でも、その言葉は、石垣りんの言葉のように重い。

私たちは繰り返してしまった。「福島より前、福島より後」
という言葉が意味のあるものとなってしまった。

彼女が地球上の人々に思いをはせているのに、
私たちは自分たちのことだけしか考えていなかった。

かつて同じ苦しみが地球上にあったのに。広島に「過ちは繰り返しません」
という誓いの碑があるのに。
ただ繰り返してしまったことに、悲しみと恥ずかしさを感じるばかり。
「このおそろしい年、このおそろしい日を」忘れてはいけないと思う。
改めて、そう思う。




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